子宮内膜症、卵巣嚢腫になった挙句に糖尿病発覚した40代の闘病記㉑
はじめに
陽だまりのマミーん家。です。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます♡
2021年に発覚した子宮内膜症、卵巣嚢腫、術前検査前に糖尿病発覚した40代の闘病記を備忘録としてしたためておきたいと思います。どのような流れで発覚し、どういう治療をしていったか、闘病の日々を赤裸々に綴り、配信していきます♡
はじめから見るにはこちらから( ´艸`)
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お久しぶり…です♡
退院してから、10日経ちました。
だいぶ、回復してきました。へその痛みはまだすこーしありますが、普通に起き上がれるまでになりました\(^_^)/
さて、回復して元気になりつつあるので、そろそろブログ再開しようと思います(。・ω・。)ノ♡パチパチパチ…
まず、手始めに入院して☞翌日に手術を受けました、ここからですね。
手術をうけるにあたって、感動したこと、辛かったことを綴りたいと思います。
お疲れさま、子宮&卵巣 労いの時間を過ごすの巻(。・ω・。)ノ♡
入院した翌日に手術をうけるので、前の日に下剤を渡され、就寝時間までに3回はおトイレに駆け込んで出しまくっていました♡おかげですっきりと浣腸もなしで済みました。
前夜は本当に緊張してなかなか眠れませんでしたが、当日体力も必要なので目だけでもつぶり、ようやくしっかりと寝られることができました。
…と、同時に長い間、ともにいた子宮と右卵巣ともお別れだと思うと、寂しくもありました。
そして、子どもたちを宿ってくれて、しっかりと子宮が守ってくれていたことに深く深く感謝しながら最後の夜を過ごしました。
いよいよ、手術当日の朝を迎える。
外はひどい雨だったのを覚えてる☔
当日は朝から絶食でもちろん朝6時から水分摂取も禁止。
だから朝早く5時半に起きて、6時までせっせと水分補給( ´艸`)☜そこは抜かりないのね(笑)
手術室に行く時間までがものすごい長い時間に感じた。
旦那が8時過ぎに駆けつけてくれ、緊張をほぐすため面白い話をしてくれたりで盛り上がった。
ありがとう、パパ♡
8時40分。
看護師さんが『そろそろ、手術室、行きましょうか。旦那さんは手術室の入り口までお見送りをお願いします。』
『はい、行きます。』
何故か、清々しい気持ちだった。
手術室にたどり着くまで、いろんな思い出がぐるぐる頭をよぎった。
長男を身ごもって産まれ・・・長女…次男…と妊娠した期間、産まれたときのことを思い出して、ああ、これも全部、子宮や卵巣のお陰なんだなと思ったら、
お疲れ様、わたしの子宮。お疲れ様、わたしの卵巣。
と感謝で胸がいっぱいになった。
手術室に着いて、旦那と笑顔でタッチして
『ばいばい、行ってくるね。』
『うん。頑張れ。』
旦那も笑顔で見送ってくれた。
いよいよ、手術開始の巻(。・ω・。)ノ♡
手術室の部屋が沢山あって、広くて、最近リニューアルしたばかりだけあってすごくキレイだった。
前室に入り、まずキャップをかぶって、部屋に入ると、
手術チームの方々達が明るく出迎えてくれた。
なんだ?ここはアメリカか?というくらい、ニコニコ出迎えてくれた。
筆者が聴こえないので、事前にこれからの流れが書かれているカンペみたいな紙を次から次へと丁寧に見せて説明してくれた。
ジェスチャーも交えて、しっかりと伝えてくれた。
そこに感動して、ああ、この方々達に任せて大丈夫だって思えた。
手術台に乗り、全部脱がされ、タオル一枚に。
点滴のルートも取り、足首に心電図?のモニターをつける。
きっと、心臓の音も大きかったのだろう。大勢の手術チームの方々達が大丈夫だよと
手を握ってくれたり、さすってくれた。
硬膜外麻酔を打つため、横向きになり背中を丸める。
つめたーい消毒を背中に塗りまくられる…
背中をぐっと押された感があった。痛みはそれほどでもなかった。
と同時に、
あれ~・・・?なんかぐるぐるするぞ?とお酒を飲んだ気分になった。
仰向けになり、『酸素マスクしますね』
と酸素マスクをかぶせられ、その時間5秒なのだろうか…コクっと堕ちたというより全く覚えてない。
強いて言えば、闇。そう、夢も見なければ、ただ、闇という記憶しかない。
そしてすぐ
10秒くらいの感覚で目が覚める。
あれ?終わった?
看護師さんの顔が見える。
『終わりましたよ。』
え?!さっき、酸素マスクかぶせられて堕ちたばかりだよね?
という感覚とともに、
『…い、いった!!!!!』
あまりの痛みに気づく。
あ~、オペ、終わったんだ…とようやく実感する。
実感した後、突然、ガタガタと身体が震える。あまりの寒さに手も口も身体全体が震えた。
そう、いわゆるシバリングが起きた。
☞シバリングとは術中に体温低下に陥るため、術後、身体が体温をあげようと震えがおきる症状のことを言います。
個人差があるようですが、筆者はシバリング発生してしまいました。
病室に移動するため、手術室を出る。
出る時、チラっと時計が見えた。15時を過ぎていた。
うわ、手術室入ってから6時間たったんだ・・・( ゚Д゚)
待っていた旦那の心配そうな顔が見えた。
でもガタガタ震えまくる筆者を見て、旦那、Σ( ̄□ ̄|||)引いていた…というより怯えてた?( ´艸`)
そりゃ、だれが見ても引くくらい、震えてるんだもん( ´艸`)
病室に戻ると、電気毛布をかけられる。
しばらくして
『うっ・・・気持ち悪い』
と嘔吐。
術後、3人に1人が全身麻酔による副作用で気持ち悪くなったり嘔吐するケースもあると聞いていたが、自分もその一人だった(笑)
酸素チューブを鼻に付けていて、スースーする感じが気持ち悪くて、吐き気がひどくつらかった。
気管挿管もしていたので、喉に違和感があり、痰が絡んで出すのも傷に響いて、苦しかった💦
大体30分くらいで震えも収まったと思ったら、今度は暑くなる。
そう今度は術後による高熱を出したのだ・・・💦次から次と症状が出てくるからしんどかった。
そして、術後血栓予防に両足にフットポンプをかけられる。
プシュー、プシューとマッサージされる感覚。
術後説明を聞いていた旦那が病室に入ってきた。
旦那:『…大丈夫?』
私:『痛い(´;ω;`)やっぱ、開腹だった?』
旦那:『いや、無事、腹腔鏡、成功したよ。大きな合併症もなかったよ。』
私:『そうか。えっ…腹腔鏡でこんなに痛いんだ…』
しばらくして、17時には旦那退場を言い渡される。コロナウイルス関係上、しょうがないよね。
退院まで面会禁止だから会えないから寂しい気持ちになったけど、次男坊がいるから早く帰ってあげて~、子どもたちを宜しくと、しばしの
別れを惜しんだ。
その夜、地獄絵図だったの巻(。・ω・。)ノ♡
旦那と別れてから、もうずっと痛くて、ナースコール💦
『い、痛み止めを・・・』
こんな感じで寝返りをうつのも痛くて無理。
術後6時間は水飲めない。痰絡んで苦しいわ、傷痛いわで本当にもう地獄だった。
高熱にうなされるわで…
お産の痛みの方がまだマシ。☜個人差があるのでみんながみんなそうではないことを一応断っておきますね💦
静かにただ一人で痛みにのたうち回りながら、耐えた。
そして、夜21時頃、水を飲めますよと看護師さんからOKをもらい、ベッドも起こすことができた。
おおよそ12時間ぶりのお水・・・(ToT)/~~~
生き返りました…♡はぁ♡
でも痛い(´;ω;`)のオンパレード…
痛みに耐えていた時も、ずっと次男坊がママがいなくて、寂しい思いしてないか心配でしょうがなかった。
次男坊もママ不在で頑張ってるんだから、自分もこの痛みに耐え抜かなければ!という気持ちだった。
しばらく3日間は結構しんどかった気がする💦
長くなったので、今日はここまで♡
子宮内膜症を早く発見するためにはひどい生理痛を我慢するのではなく、迷わず、産婦人科受診することの大切さを
今回のことで身をもって思い知りました。
今思えば、高校生くらいから、生理痛がひどいタイプで、でもその痛みが普通のことなんだ、みんな耐えてるんだと思って、
病院も行かず、痛み止めも飲んでこなかった。産後もひどい生理痛に悩まされていたが、放置していたことにひどく後悔している。
だから、生理痛を楽観視するのはぜひともやめて頂きたいと声を大にして言いたいです。
すぐ産婦人科を受診してほしい。
『生理痛がひどくて不安なので診てほしい』と受付に言えば、診てくれます。
そして卵巣嚢腫は気づかない間に大きくなるケースが多いので、年に一回の健診を受けて頂きたいです。
生理痛を放置した挙句に悪化して手術せざるを得なくなってしまったときにさらに痛い思いをして欲しくない、そういった思いで闘病記を配信しています。
次回は術後翌日からのことを記事にしていきます♡
いつも見て頂き、ありがとうございます(。・ω・。)ノ♡